岸和田高校63期卒の仲井健人氏、デフサッカー日本代表として世界選手権大会に出場し準優勝

お知らせ

仲井健人さん(高63)が第4回デフサッカー日本代表として出場し、準優勝しました。

仲井健人
岸和田高校63期卒
岸和田市出身
在校中はサッカー部に所属
筑波大学人間学群心理学類に進学し、蹴球部に所属

デフサッカー(※1)男子日本代表は、2023年9月23日からマレーシア/クアラルンプールにて開催された「第4回ろう者サッカー世界選手権大会」に出場し、準優勝の快挙を達成した。
本大会では、岸和田高校63期卒の仲井健人氏がデフサッカー日本代表として出場した。

※1 デフサッカーとは、聴覚障害のある選手が行うサッカー。主審が笛と旗を持って試合を進行するが、ルールや試合時間、コートの広さ等は通常のサッカーと同じ。

ろう者サッカー世界選手権大会(通称:デフサッカーW杯)では19チームが参加。
今年からSAMURAI BLUEと同じユニホームを着用することになった日本は、予選リーグを1勝2敗で終わるが、決勝トーナメントに進出。1回戦では大会2連覇中のトルコを2-0で勝利すると、予選リーグで敗退した2021年デフリンピック(※2)準優勝国のフランスに1-0で勝利し、2017年デフリンピック3位のエジプトに延長戦の末4-1で勝利。決勝戦では、2021年デフリンピック優勝国のウクライナと対戦。両国共に一進一退の攻防を繰り広げるが、前半終了間際にFKで先制点を決められる。更に後半に一瞬の隙を突かれ追加点を許すが、後半残り10分に日本がゴールを決めるが、追いつくことはできずに試合終了の笛が鳴った。

※2 デフリンピックとは、聴覚障害者のオリンピック。オリンピックと同様に4年に1度開催される。パラリンピックとは別の大会である。次回デフリンピックは2025年に東京で開催予定。

■仲井個人の所感

本大会を振り返ってみて、優勝を目の前にして取り逃がしたことで大変悔しい気持ちでいっぱいです。しかし、デフサッカー日本代表は過去のW杯・デフリンピックで最高成績はベスト8だったことを考えると、良い結果だったと思います。

私は18歳からデフサッカー男子日本代表として各大会で出場していますが、本大会に臨むにあたって不安でいっぱいでした。理由は、本大会において日本はコロナ禍の影響もあり5年ぶりの国際大会となり、世界の中での日本の立ち位置もわからない状況でした。また、5年間の間に選手の入れ替わりもあり、国際大会の経験が少ない選手が多く、多くの不安要素を抱えていたためです。

しかし、本大会が始まると、その不安を一蹴するほど世界を相手に戦うことができていました。予選リーグの3試合はいずれも日本が攻めていましたが、最後の最後に決めきれずに敗退を喫してしまいました。

しかし、決勝トーナメントに進出できたことをチーム全員がポジティブに捉え、チーム全員で予選リーグでの反省を活かし、強豪国を次々と破ることができました。

私自身、予選リーグ第2戦のイラン戦で肉離れを起こし、決勝トーナメント1回戦からは治療しながら強行出場に近い形で戦い続けましたが、やはりベスト状態ではなかったので、準優勝という結果と合わさって非常に悔しい気持ちでいっぱいです。

次の国際大会は、2024年にイランで開催されるアジア大会、そして2025年に東京で開催されるデフリンピックです(デフサッカーは福島県/Jヴィレッジ開催予定)。それに照準を合わせて日頃からトレーニングを積み重ねて、日本の皆様と一緒に優勝できるように頑張っていきたいと思います。

また、デフサッカーそしてデフリンピックの大きな課題の1つとして「認知度の低さ」があげられます。認知度が低いことにより、スポンサーやサポートが少なく、SAMURAI BLUEや日本サッカー協会のような環境を整えることが難しい状況です。例えば、選手は一部自己負担での活動、聴覚障害のある子どもたちがデフサッカーを目指すきっかけにつながらないなどがあります。かくいう私も一部自己負担をしながらの活動をしています。2025年デフリンピックは、デフサッカーそしてデフリンピックの認知度を上げるきっかけになると考えているので、残り2年間少しでも多くの人に知っていただけるように取り組んでいきたいと思います。

■試合結果

<予選リーグ>
第1戦 9月23日 (土) ○8-0 vs カメルーン
第2戦 9月25日 (月) ●0-1 vs イラン
第3戦 9月27日 (水) ●0-1 vs フランス

<決勝トーナメント>
ラウンド16 9月29日(金) ○2-0 vs トルコ
準々決勝 10月1日(日) ○1-0 vs フランス
準決勝 10月4日(水) ○4-1 vs エジプト
決勝 10月7日(土) ●1-2 vs ウクライナ

■高校時代を振り返って

高校時代からデフサッカー日本代表として国際大会に出場し優勝する目標を掲げていました(同期が覚えてくれているかわかりませんが笑)。約15年間その目標を達成することを考えていました。

準優勝の景色を見た今、高校時代を振り返ると、高校3年生の5月に筑波大学を紹介してくれたサッカー部の同期に感謝しています。筑波大学は毎年Jリーガーを輩出し、日本一経験もある強豪校です(現在のSAMURAI BLUEの谷口彰悟選手、三笘薫選手も筑波大学蹴球部出身)。それまで筑波大学を知らなかった私ですが、筑波大学を知ったことで、筑波大学蹴球部に入って上記の目標を達成する道が見え、それに向けて努力しました。

話が前後しますが、高校時代の私は聴覚障害があり、普段の授業中に先生の話を聞くことがとても難しい状況でした。そのため、先生方には私も授業の内容が理解できるように、板書を多めに、また授業前には授業内容計画の紙を用意していただくなど、多くのサポートをしていただきました。そのため、授業内容を理解することができました。多忙な中にも関わらずご対応してくださった先生方には今でも心から感謝しています。

そして、サッカー部では、個の強化を中心とした練習の繰り返しで、それまで個が強くなかった私にとっては、より個にこだわるようになったと思います。

岸和田高校では「文武両道」を全面的に推奨していますが、上記のように先生方のサポートを含め、それができる環境であったことは私に多くの「選択肢」と「機会」を与えてくださり、それは今の人生に大きな影響をもたらしてくれたと思います。勉強の成績が良くなければ筑波大学に入学することができず、今のようにサッカーのレベルアップが出来なかったでしょうし、学びたかったことを学ぶことが出来なかったかもしれません。そうした意味では、岸和田高校に在学していた3年間は非常に充実した時間だったと今でも思っています。

改めまして在学中に関わってくださった皆様に御礼申し上げます。

タイトルとURLをコピーしました