2019年サタディークラブ 高2回 報告

同窓会員から

我々の青春の群像
(サタディークラブ、新制高校2回生の活動)

蘶令和元年記 サタディークラブ会員一同(新制高校2回生)

戦中戦後、中学校時代に教育を受けた同窓生、今も隔年に同窓会が開催されているが、人数が少なくなったと幹事さんを困らせている。側聞するところによるとグループで集まっているとのこと嬉しい限りである。我々も岸高時代から親しく今も続いているサタディークラブがあり、年に1~2回青春時代に戻って親しく話し合える友のいることは人生の応援歌である。私達は、昭和19年に旧制府立岸和田中学入学、昭和20年終戦と同時の教育改革で新制府立岸和田高校の2年生に編入学、当時は、文科と理科に分かれていて私達は理科に進学した。丸刈り頭、戦闘帽、国防色の学生服、ゲートル巻から、新制になって新進気鋭の若い先生の指導をうけ、自由を肌で感じられる時期がきて、服装も元の学生服となり、近隣の府立高等女学校から希望により10余名が加わった。

土曜日放課後、映画で話題となっていた若草物語の原著little womenを輪読、あだ名ターザンこと田中米雄先生の指導をうけ、いつもマージャン・コンパで集まっていた11名(11名がサタディークラブの会員)と数名の女生徒が参加した。サタディークラブができたのは、自然発生的なものでした。メンバーは、故人となられた人 堀木 學(元阪大医講師)望月 茂樹(元マツダ自動車参与)秦 慶次(元学校長)塩谷 弥兵衛(元阪大医、教授)川辺 秀昭(元阪大学生部長 工、教授)亀崎 守人(京大農卒)、長寿しているもの 大澤 浩(元旭化成理事)掃部 蘶(元大阪厚生記念病院薬剤部長)下村 克朗(元国立循環器医療センター院長)覚野 淳介(元覚野石油社長)上西 力(外科医)互いに今のニックネームで呼び合っている。

旧制中学時代戦中で、岸中の阿間河滝の山の道場、野田町の開墾地、グランドから口癖に言う キクズ、タケクズ、チャワンのカケラ、ガラスを取りのぞき、耕し、麦ふみ、イモ作り、その他農業動員、飛行機燃料となる松根油をとる松の根子堀で動員の中の授業か、授業の中の動員かわからない時代でした。新制高校に編入したころ、サタディークラブが発足し、生徒は、各方面で自由に活躍。メンバーも生物班 川辺、塩谷、覚野 掃部 望月 下村 亀崎 絵画部 下村 バスケット 堀木 サッカー 大澤、秦 テニス 上西 クラシック音楽鑑賞会の開催。

岸高祭で11名全員でボルガの舟歌・ステンカラージンを合唱して喝采を浴びたのも思い出も一つである。

大学時代には、メンバーは各方面に散ったがみんなの繋がりは、純粋な気持ちで年1~2回の開催により70余年、親しく続いている。

私たちはすでに88才前後の高齢になったが、大澤(東京)掃部(千葉)の帰岸に合わせて、岸高の見えるグランド横の割烹季之陣で正午より2時間半 5人になった今も70余年続いているこの会を誇りに思っている。

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